「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」から考える、AIについて

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オーディナル・スケール、木戸!w

 

友人に誘われ、劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-を立川にて観賞した。

 

もともとソードアート・オンライン(以下、SAO)は好きな作品だった。原作もあらかた読了し、アニメも当然全話視聴した。しかし、いつしか熱を失い、原作にもアニメにも興味を失うことになる。原因は定かではないが、とにかく以前のような興奮を感じることはなくなっていたのだ。それでも2期は見ていたし、話の内容は理解している。というわけで、友人に勧められたので、また一回は立川の極音上映を経験したかったということもあって、今回このような運びとなった。

 

では早速綴らせて頂こう。なお、極力気をつけるつもりではあるが、仕方なく話の本筋に触れること(いわゆる、ネタバレ)があるかもしれない。その点ご了承願いたい。

 

感想としては、概ね良かったと思えるような内容であった。シリーズ全般に言えることだが毎度のご都合主義、またぽっと出の新キャラについてうまく膨らませていない(キャラとして立ってない)にも関わらず、お涙頂戴の展開を広げていたのは解せなくはあるものの、それらに多少目を瞑れば、素晴らしい出来だったと言えよう。やはり何と言っても、燃えるシーンは燃えてしまうし、感動のシーンは感動してしまう。これは悔しいが認めねばならない。

 

さて話を変えよう。別にこのブログは一般人の感想をつらつら語るブログではないので、そこから足を一歩踏み入れて一つ考えてみたい。今回、劇場版SAOから考えるのは、AIについてである。

 

まずそもそもAIとは、

人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。(Wikipediaより)

だそうだ。まあ要するに、人間っぽいロボットって感じだろう。度々AIを通して議論になるのが、「AIは感情を持つのか」という点ではないか。本作でもシリーズを通してこのような話は語られてきた。

 

結局のところ、AIは感情を持ち得るのか。そんなこと考えるだけ不毛である。なぜなら、そもそも(わたしを除く)人間が感情を持っているかわからないからである

 

はて、と思う方もいるかもしれないが、我々の感情が何処から湧き出でているものなのかはわかっていない。脳とも言われるし、魂的なナニかとも言われる。しかしどの説も論理的に説明することは不可能なのだ。結局のところ、我々の感情の出所はわかっていない。だから、AIだろうが人間だろうが、「感情があるかどうか」なんて考えるのは野暮なのである。わかりっこないんだから。

 

しかし、我々は人間には感情がある、と当たり前のように思っている。なぜか。それは、相手の人間が、まるで感情があるかのように振る舞うからである。そういった観点から見れば、「人間にだって感情がある(ように見える)のだから、高度に発達したAIにも感情はある」と言ったとしても、原理的に人間もAIも確たる証拠を見つけられないのだから、この暴論はあながち間違いでもない。

 

だが、どうも引っかかるものがあるのはわかる。AIはプログラムの集合体であって感情を持つわけがないという話も納得できる。それにAIはプログラムに沿って対応しているだけなので、主観的な体験(クオリア)を感じ得ない哲学的ゾンビだ、との論説もうなづけよう。もっとも、わたし以外の人間が哲学的ゾンビだとしてもわかりようがないわけだが……しかし、いくらAIにたいしてあれこれ言おうと、それは人間にたいしても当てはまることなのだ。

 

引っかかるものはあったとしても、つまりは人間とAIの明確な線引きは出来ないだろう。出来たとしてもコンピュータに作られたか否か、くらいのものだ。しかしながらAI本人が「わたしは人間だ」と思い込んでいる可能性だってある。極論を言ってしまえば、我々人間もAIかもしれないという可能性は大いにあるのだ(これ以上は続編の内容に抵触しそうなので伏せておく)。つまり、人間にもAIにも感情があるかどうかなんてわからない。あるように思えるんならあるんだろ、お前の中ではな。としか言えないのである。要するにユイちゃんだって感情があるんだよということだ。キリトやアスナたちはユイを人間のように可愛がり慈しんでいる。だったらそれでいいじゃないか。それに、SAOの世界ならAIに感情が宿るなどというトンデモ事件が起きても不思議ではない。だってHPが0であるにも関わらず根性でラスボスを倒したキリトさんがいるんだし。あながち不思議でもないよ。

 

高度なAIなら人間に成り替わるということだ。だから、死んだ人間だって死ぬ前の記憶さえあればなんとか再現可能なのだろう。限界はあるが。

 

できる限りネタバレは避けたので詳しく書けなかったが、本作をすでに見た方には多少わかっていただけたこともあると思う。SAO次回作「アリシゼーション」は、このようなAIに関する話題が多数出てくる。ARばかりに目を向けるのではなく、たまにはAIについて考えるのもどうだろうか。私のSAO熱も少し帯びてきたところで締めさせていただく。アリシゼーションが楽しみだ。